2021.07.15
北九州の老舗ラーメン店「珍竜軒」ラーメンは立場や身分に関係なく、誰にでも平等なもの
昭和40年に、軽トラック式の屋台からはじまった「珍竜軒」は、北九州で1、2位を争う、言わずと知れた老舗ラーメン店だ。その名店を受け継ぐ3代目・品川徳考さんに、後継者ならではの苦悩や後継者育成の取り組みについて伺った。
人気はあるものの、後継者不足が課題とされているラーメン業界。そんな中、3代続くラーメン店は、とんこつ文化の色濃い北九州でも珍しい存在だ。そして「珍竜軒」は、2020年8月に2階建ての新店舗へとリニューアルし、これまで以上の賑わいを見せている。特段、家業を継ぐ意志があった訳ではなかったという3代目の品川徳孝さんだが、新店舗になって「家族連れのお客さんが増えて嬉しい」と爽やかな笑顔を見せる。また、オンラインカジノ 入金不要ボーナス
を活用したプロモーション活動にも取り組み、集客の幅を広げている。
「あとはお前やれよ」って、ポンッと父親が道を開けてくれた。
品川さんは学生の頃に店を手伝うことはあったものの、学校を卒業と同時に一般企業に就職。その後、家業である「珍竜軒」を継いだ。現在では、 を活用した新たなビジネスの展開にも注力しており、さらに多くの顧客を引きつけています。。
「たまたま家がラーメン店をしていて、僕が勤めていた会社がなくなったので戻って来い、ということで、フランチャイズ店の手伝いから始めたんです。それからトントントンと進んで、『あとはお前やれよ』って、ポンッと父親(2代目)が道を開けてくれたんです。それでやってみると、なかなか面白くて」
天候やその日に仕入れた材料によって、決して同じ味にはならないラーメン作り。そこにこそ、仕事の面白味があると品川さんは言う。
「味は毎日、少しずつ変えてますね。朝から全部仕込んでつくると、必ず味に僅かなブレがでるんです。毎日スープからつくってますけど、色が違うんですよね。例えば業者さんがもってきてくれた豚骨でも、今日の豚骨は細いな、太いな、とわかるんです。それをどうするかっていうのが僕の仕事です」
品川さんは、まっすぐな視線で続ける。
「ブレが大きく開いたらダメですけど、その僅かなブレをお客さんに楽しんでほしいなと思ってます。ちゃんと計って、毎回まったく同じ味もいいと思うんですけど、一から作ると必ずブレが出てくるんで、毎日ちゃんと作ってる証拠になると思うんですよね。もちろん毎日、微調整していますけど、どうしてもブレって出るんで。でも、そこが楽しいんですよね」
情熱的にラーメン作りの楽しさを語ってくれる品川さんだが、継承したばかりの頃は楽しさよりも悩みの方が大きかったという。
家業ならではの苦悩―――。
「僕の場合は、初代の祖父が創めたんですね。味を評価されるときは、他店さんと比べられることがほとんどだ思うんですけど、僕は初代と比べられるんです。『初代はこうだった、ああだった。こんな風に美味しかった』と。ただ、2代目が間に入ってくれたおかげでクッションになったというか、僕は和らいだんです。だから父親は、もっと大変だったと思います」
お客さんがもっている初代のイメージは強烈だったようで、品川さんはそのイメージを越えようと味を研究し、様々な方法を試した。そしてあるとき、思い切って視点を変えてみることにしたという。
「初代と同じことをしてもしょうがないなと思ったんです。ラーメンに関してもそうですけど、接客や空間づくり。あと、お客さんとの間合いとか。ラーメンをつくる段階から初代を越えないといけないと。
それでわかったのは、ラーメンの味はもちろんですけど、それだけじゃないなと。いちばん最初にしたのは、お客さんの顔と名前と味の好みを覚えること。これを徹底しないと、相手は何十年も通ってくれてるお客さんなんで、俺の顔をわかってる、注文する品もわかってる……。それなのに、俺が改めて注文を伺うって、違うんじゃないかなって気づいたんです。そこから徹底しました。常連さんが来たら、スッといつものラーメンを出すという感じで。そこまでして、やっと言われなくなりましたね」
創業当時の味は、現代の舌にマッチするのか!?
受け継いだ頃のお話を伺っていると、品川さんが面白いエピソードを思い出した。
「一度、やっぱり比べられるのが嫌だったときに初代のことを調べたことがあったんです。それで、初代の麺だけのレシピがあったんですね、創業当時の。それを製麺所さんに持っていって調べてみたら、2代目になるまでの間にレシピがゆっくり変わってきてるんです。2代目の父もレシピを何度か変えている。
それで一度、試しに初代のレシピに戻して実験してみようと、常連さんに協力してもらったことがあるんですよ。初代の麺を常連さんに食べてみてもらおうと。そしたら、『この麺はダメよ!全然違う!』って。実はこれ初代の麺なんですって言ったら『うそぉ!』って驚いて(笑)
ちょっと変えただけで、わかってくれる常連さんもすごいんですけど、やっぱり先入観ってあるんだなと思って。小さい頃の美味しかったイメージって結局、味だけじゃなくて視覚とか嗅覚といった感覚の部分もすごく大きいんですよね」
そういった試行錯誤を重ねるうち、味は当然ながらも、味さえよければどんな場所や空間でもいい時代ではないと言う品川さん。そう考えるひとつの理由に、旧店舗で何度も目にしたシーンがあった。
「前の店だと、店の外にずらっと並んで待っていただくことが多かったんですが、お客さんが気を遣ってゆっくり食べられないな、とずっと感じていて。特にお子さん連れだと、子どもに早く食べてって言っても、食べた気がしないじゃないですか、わざわざ外食してるのに。僕はそれが嫌だったんで、新店舗は2階をつくったんです。待ってるお客さんの目が届かないようにしたら、ゆっくり食べられるんじゃないかなと。
そうしたら、子どもさん連れが1日に何十組も来てくれるようになって。普通、ラーメン店を経営してる人は回転率が悪くなるので嫌がると思うんですよ。でも僕は嬉しいんです。子どもがいちばん正直で、子どもが喜ぶと、お父さんお母さんも連れて行きたくなっちゃう。お子さんが美味しいっていうのは安心安全なもの、っていうことだと思いますし。それに、ゆっくりしてもらうと僕も休憩できるじゃないですか(笑)それがいいんですよ、利益優先になるよりも。僕の場合、ラーメンが先にないんです。ラーメンは大事ですけど、あくまでも潤滑油じゃないけど、そういう感じですね」
継承者の次は創業者
「僕は継承者なんで、継ぐことの大変さは身に染みてわかるんですけど、創業者の気持ちもわからないといけないということで、今後ラーメンを継承する会社を立ち上げたいと考えています。去年この新店舗を任せてもらって、新しく何かをはじめる難しさも徐々にわかってきたんです。だから継承というのを、僕はすごくしたくて」
品川さんと同じようにラーメン作りを楽しいと感じる人を、どうやって見つけて育てるのか、そこが今の課題だという。候補はいらっしゃるのか尋ねてみると、
「いないです。僕これでいいかなって思いたくないんです。何人か会ってますけど、僕のなかで『あれ、ちょっと』っていうのがあったら、もうダメなんですね。それは逆もあると思っていて、僕もそう思われないようにしないと。
あと、人と出会うために、僕が外に出ていかないといけないと思ってます。最近、高校に自分から電話を入れて、進路指導の方と話して、スタッフを募集するようになりました。やっぱり自分から動かないと。あとは魅力ですよね、ここで働きたいっていう、この人についていきたいっていう」
失敗は何度でも、何歳でもしたっていい。それよりも挑戦したかどうかが大事。
ラーメン作りには、どんな人が向いているのだろうか?
「お金の部分で来るんだったらラーメン店はちょっと、っていうのは正直あります。好きじゃないとやっぱり。独立してる弟子でも、好きな店は続いてます。
それから、仕事の楽しいところをいかに見つけるか。小さなことでも僕はけっこう嬉しいんですよ。坊主頭の高校生たちが来店してくれて、大盛の注文が来るかなって予想しててその通りだったりしたら、けっこう嬉しいんです。そういうの好きじゃないとできないですよね。
僕は、やってダメでした、でもいいと思うんです。好きなことに挑戦する。やりたいと思って入ってみたけど、ダメでした。僕はそれもアリだと思います。しない人より全然いい。うちのスタッフで今いちばん若い子が17歳で上が76歳なんですけど、お客さんも小さい子から年配の方までいらっしゃるので、スタッフも年齢を合わせています。だから若い子じゃなくても、30,40,50代でもどんどん挑戦してほしいです。ダメでもいいし、やってみないとわからないんで」
最後に、品川さんのOneAnswerとは?
「“人“ですね。お客さんであったり、働く人であったり、業者さんであったり、人とのつながり。人に出会わせてくれるのがラーメンかもしれません。会えない人に会わせてくれたり、お客さんと仲良くさせてくれたのもラーメンなんで。ラーメンって身分とか関係なく同じ値段ですし、すごく平等なものなので、色んな人と出会えるっていうのが、いちばんの魅力ですかね」
珍竜軒 品川徳孝氏のOneAnswer
「ラーメンが繋ぐ人との出会いを大事にする」
企業情報
品川物産有限会社 珍竜軒本店
〒802-0061
北九州市小倉北区三郎丸1丁目5-5
TEL・FAX 093-941-3750
営業時間 11:00~17:00(今後20:00に変更予定)
定休日 火曜
席数 32席
P 18台
白石明香
shiraishi sayaka(フリーランスライター・マーケター)
1982年、福岡県北九州市小倉北区生まれ行橋市在住。学生時代は外国語まっしぐらだったが、社会人になって日本語のすごさに目覚める。大手広告会社で営業経験後、フリーランスへ。関わる業界は不動産、食品、美容・健康など幅広い。