2021.04.15

原点回帰で三方よし! 昔の技法から生まれる新しいスタンダード・琉球ガラス村(株式会社RGC)

無から有を生むのは難しい。私たちは日々、ビジネスでも趣味でも、アイデアを現実化するのに苦労している。とりわけ若い世代は、0から1を生むのが苦手だと感じる機会が増えてきた。先人たちは、どういう風にして無から有を生み出してきたのだろうか。

そう考えていたときに耳にしたのが、琉球ガラスの成り立ちだった。沖縄の明るい日射しを思わせるエネルギッシュな色彩の琉球ガラスだが、そのはじまりは敗戦直後の物資不足にあったという。

0から1を生み出すヒントがそこにあるように感じて、琉球ガラス村を経営する株式会社RGCの営業部長である川上英宏さんにお話をうかがった。

米軍向けにつくられていた!? 琉球ガラスの誕生秘話

沖縄と言えば琉球ガラス。お土産品として、よく目にするものの、琉球ガラスの歴史を詳しく知る人は、そう多くないのではないだろうか。そもそも、どういうものを琉球ガラスというのか?誕生のきっかけは?そんな疑問を、さっそく川上さんにぶつけてみた。

「現在の琉球ガラスになる前、明治43年に長崎や大阪から、産業ガラスの技法が沖縄に入ってきた段階がありました。しかし、第二次世界大戦がはじまったので、一度途切れますが戦後、その技術をもった職人たちが、駐留米軍の使用したコーラやビールの廃ビンを再利用して、彼ら向けにグラスやサラダボールなどを造ったことから、琉球ガラスという独自の文化が生まれました。今と違って当時は、ビンの色そのものを使った薄いグリーンや薄茶色など、シンプルなものが主流でした」

駐留米軍の需要が高いことから生産が盛んになり、そのほとんどはアメリカ本国に輸出されていたそうだ。日本の本土にも一部輸出されるようになり、”気泡”や”厚み”も、アメリカナイズされた「一風変わった素朴なデザイン」として受け入れられ、そこから沖縄独自のガラス文化が誕生したという。

南国らしいあでやかな色がテーブルを明るくする。おしゃれなサイズは普段使いやギフトにも。

沖縄最大のガラス工房となった理由

琉球ガラスの多くは、小さな工房で作られているが、琉球ガラス村(株式会社RGC)さんは、沖縄で最も大きな工房だ。最大規模の琉球ガラス工房に至るまでには、どんな変遷があったのだろうか?

「燃料となる、原油の高騰を受けてつくった協同組合がスタートです。職人に保証がなく、生活が安定しにくかったので、待遇をどうしようかと工房が協力し合って、職人の地位向上と生活の安定のために組織化しました。その後、1970年代の観光ブームを受けて琉球ガラスの生産が増加しますが、そこから調合ガラス、色付きガラスに切り替えて、需要に合わせるようになりました。昔も今も、職人による100%手づくりで頑張っています」

手づくりの温かさや沖縄の自然を感じてほしいという想いから、100% HAND MADEを宣言しているRGCさん。聞くと、戦後に廃ビンを再利用していた当時の職人さんが、今も現役で活躍しているというから驚きだ。沖縄県伝統工芸士としていくつもの賞を受賞している平良恒雄さんをはじめ、数人の職人さんが在籍している。そして、この職人さんを大事にする体制が、新しい取り組みを後押しすることになるのだった。

 

当時の職人さんがいるからできた、エシカルな取り組み「madoシリーズ」

沖縄は電車やバスといった公共機関が少なく、移動は専ら車。さらに、観光が盛んなのでレンタカー会社も多く、月に4,000~6,000台の車が廃車となる。車の99%は再利用が可能だが、ガラスだけは再利用が難しい。ガラス廃棄に何千万円ものコストがかかるため、なんとかならないかと、地元沖縄のリサイクル企業・拓南商事から相談を受けたのをきっかけに、廃車の窓ガラスを食器に生まれ変わらせる「madoシリーズ」がスタートした。

このmadoシリーズには、元祖琉球ガラスともいえる、戦後に廃ビンを再利用したときの技法が使われている。技法を熟知した、当時の職人さんたちがいなければ誕生しなかった製品だ。

これまでの琉球ガラスとは一線を画した生活に馴染みやすいデザインから、エシカルな取り組みに共感してくださる方たちや、30~40代のお客様を中心に人気を集めはじめている。

「ぜひ、日常にmadoシリーズを取り入れていただいて、このお皿は車のガラスを再利用してつくられたんだよと、ご家庭での会話に取り入れていただけると嬉しいですね」

madoシリーズ発案者の川上さんはそう語る。

 

お土産品から日常使いできる品へ。

現在、沖縄は観光業が非常に苦しい状況だ。しかし、苦境に立たされている今だからこそ、川上さんの挑戦は続く。madoシリーズのほかにも、環境に配慮した循環型商品の企画を進めているのだ。

牛乳瓶を再利用した食器シリーズが進行中のほか、取り壊される建築物をガラス製品に生まれ変わらせるアイデアもある。

「今後は、従来のお土産品だけでなく、日常使いできる品を浸透させていきたい」

琉球ガラスの原点となる「技術の継承」「環境への配慮」「地元リサイクル企業のコスト削減」「お客様に喜ばれる商品づくり」と、“三方よし” どころか、良いことづくしのmadoシリーズ。きっと、琉球ガラスを牽引する、新しいスタンダードとなるだろう。

 

琉球ガラス村 株式会社RGC 川上英宏氏のOneAnswer

「挑戦しつづける」

 

「madoシリーズ」は「宙吹き法」と「型吹き法」というふたつの工法を使って作られている。薄いグリーンとブラックに、波模様やダイヤ柄といったシンプルなデザインが美しい。

夏場は1,300℃の窯から離れた涼しい所でも工房内の気温は40℃超。熱気あふれる工房内では、日々熟練の職人たちが、手づくりならではのぬくもりのある100%HAND MADE琉球ガラスを制作している。

心地よい春風が吹き、桜の花びらが舞う景色をイメージしたグラス「寒緋桜(かんひさくら)」

人気の大人っぽいシックな黒ガラス「流雲グラス」

沖縄県糸満市にある琉球ガラス村。観光地としてだけでなく、古き日本を知る旅先としても訪れたい。

店舗情報

■琉球ガラス村Online Shop

https://ryukyu-glass.shop-pro.jp/

■琉球ガラス村
〒901-0345 沖縄県糸満市字福地169番地 電話098-997-4784

営業時間 10:00~16:00(年中無休/時短営業中)※状況により変更の場合もあり

入館料 無料

https://www.ryukyu-glass.co.jp/

 

アバター

白石明香
shiraishi sayaka(フリーランスライター・マーケター) 1982年、福岡県北九州市小倉北区生まれ行橋市在住。学生時代は外国語まっしぐらだったが、社会人になって日本語のすごさに目覚める。大手広告会社で営業経験後、フリーランスへ。関わる業界は不動産、食品、美容・健康など幅広い。