2021.05.15

山口県下関市の老舗和菓子店「梅寿軒」。100年以上愛され続ける理由とは?

「梅寿軒」(ばいじゅけん)は、明治36年(1903年)に倉本梅吉氏が創業した老舗和菓子店。現在は下関の本店と大丸百貨店内の2店舗を展開し、山口県の手土産として人気が高い。「梅もなか」と「わかめ餅」はロングセラーの定番商品で、「わかめ餅」に至っては、安部前首相からご指名いただくほどのメジャーなお菓子。100年以上にわたって愛され続ける「梅寿軒」の秘訣を知るべく、歴史や取り組みについて伺った。

変えるものと変えないもの

「創業初期からつくっているお菓子は今でもありますが、明治の砂糖と今の砂糖は甘さが違うので、時代に合わせて、素材を変えながら味を守っています」

そう語ってくれたのは代表取締役の倉本喜博さん。素材選びだけでなく、製法にもひと手間かけているという。

「小豆は北海道のものを使っていて、毎年、北海道のどの地域の小豆を仕入れるかまで厳選しています。仕入れたときに、全部が良い小豆とは限らないので、まずは手で選り分けます。つくるときも手作業です。回したり、混ぜたりするのですが、機械でやると粒がつぶれてしまうので。特に最中は、小豆が命ですから」

 

倉本さんは、東京の日本菓子専門学校を卒業したのち、実家の梅寿軒で和菓子職人として勤めていたが、34歳のときに父親である3代目との経営方針の違いから梅寿軒を去り、まったく異業種の建設会社に転職した。その後、不動産会社とフリーペーパーをつくる会社を立ち上げ、勤務していた建設会社も社長として引き継ぎ……、と多忙な日々を送っていたときに、3代目の高齢化と社長をしていた弟さんの体調不良をきっかけに梅寿軒に再び戻り、現職に就くことになる。

和菓子職人として経営者として

20年ぶりに家業に戻ってみると、道具や仕事のやり方は以前のままだった。
変わらずに伝統を引き継いている安心した気持ちと、変わっていないことへの危機感もあった。
20年前は和菓子職人として、今は経営者として梅寿軒と向き合った。

倉本さんは「変えるものと変えないもの」を見つけていくことから始めた。

「例えば、制服です。戻った当時は白衣でした。白衣は洗っても落ちない汚れが目立つので、接客の目線でみんなに制服を選んでもらい、すべて新しく換えました。他にも機械や道具、仕事のやり方です。道具を大切にしたり、同じことを続けていくことも大切ですが、変化や改善、新しいことの取り組みも必要と感じました。今は少しずつ変えられるところからは変えています。まずは見えるところからで、まだまだやることがいっぱいあるんですけどね」

 

店内には日本的なBGMが流れていて、お客様はリラックスして買い物を楽しめている様子。このBGMも倉本さんによる提案だそう。

倉本さんは少しずつ、お客様が触れるところから新しいものを取り入れていった。

 

安倍前総理や将棋の羽生善治九段もご賞味いただいた、わかめ餅。わかめを練り込んであり、甘さは控えめでやさしい磯の香がふんわりと口に広がる。創業初期から今に続く和菓子。

やわらかい求肥と粒あんの「志ぐれ」。梅寿軒の人気和菓子。相手を選ばない人気お手土産の1つ。

梅寿軒が長年つづく理由の1つはこの「粒あん」。小豆と甘さにこだわり、時代とともに絶妙な甘さの変化をつけている。ぜひご賞味いただいたい。

スタッフの共感を生む経営者の姿勢

倉本さんの座右の銘は、「不易流行」。

不易流行とは、変えるべきものを変え、変えてはいけないものを次世代に引き継ぐこと。

 

いま、倉本さんが家業を守るために、従来のやり方を変えようと力を入れているのは、次世代スタッフの育成だ。スタッフの育成で悩む経営者が多いなか、倉本さんは楽しみながらアイデアを出し、軽々と取り組んでいるように見える。その秘訣を伺ってみると、

 

「例えば、工場でお菓子をつくるとするじゃないですか。限られたものなので、ルーティーンワークでつくると何にも面白くないんですね。だから、そこに創造性をもたせて、いろんな材料があるから新しいお菓子をつくってみないか?という風に、創造性を培える何かをさせるようにしています。若い人が同じことをずっとやるって無理なんですよ。僕だって無理です。だから、時間と報酬はもちろんですが、やりがいや飽きさせない工夫をするようにしています」

 

さらに、スタッフとの双方向のコミュニケーションについて。

 

「スタッフと情報共有アプリで繋がっているので、なるべく情報を共有するようにしています。例えば、叙勲を受けた人がうちの商品を表敬訪問にもっていったという記事が山口新聞に載っていたので、それをみんなに共有するとか。他にも「くりまさる」という甘いかぼちゃが山口県にあるんですけど、それを使った「くりまさる外郎」という商品がうちにありまして。たまたま「くりまさる」に関する記事を見つけたから、それを共有したら、「くりまさるって珍しいかぼちゃなんですね!」という反応がスタッフからあったり。いろんな情報を渡すと、わたしも面白いんですよね。逆にスタッフからも、「〇〇さんがご来店されました」という報告があったりします。早速、〇〇さんに「今日はご来店ありがとうございました」とお礼のメッセージをすると喜んでいただいたりして、情報の共有はいろんな影響があると思って、日々行っています」

 

やりたいことがわからない若者も多いのでは?という質問に対しては、

 

いつも「したいことをしたらいい」というスタンスでいます。やりたいことが分からないようであれば、「やってみたら?」と、こちらから提案してあげるようにしています。

 

100年以上つづく家業の老舗和菓子店を守るために、革新的な取り組みを進めながらも、周りへの配慮を忘れない倉本さん。スタッフと一丸となって邁進する倉本さんの姿勢は、スタッフのみならず、地域のお客様さまからも共感と信頼を得ているようだ。

 

梅寿軒 倉本喜博氏のOneAnswer

 

「不易流行」

 

御菓子司 梅寿軒

(本店)  〒750-0004 山口県下関市中之町8番24号
◇営業時間:8:30〜17:30 / 店休日:日曜日(祝日は営業)
TEL     083-222-2372 / FAX  083-232-0479
(大丸下関店) 山口県下関市竹崎町4丁目4番10号(大丸下関店 地階)
◇営業時間:10:00〜19:30 / 店休日:不定休(大丸下関店に準ずる)
TEL/FAX  083-224-2431

URL       http://baijuken.net

 

倉本喜博氏が紹介されている「下関人図鑑」

山口県下関市名所の赤間神宮や唐戸市場のすぐそばにある梅寿軒。地元の人だけでなく観光で訪れる人にもぜひ立ち寄っていただきたい。

落ち着いた店内は、朝から夕方まで地元の人が多く立ち寄る。手土産を買う人、自宅のお茶菓子を買う人、季節の和菓子を楽しみにしている人。梅寿軒は100年以上和菓子を通じて地域の人とともに生きている。

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白石明香
shiraishi sayaka(フリーランスライター・マーケター) 1982年、福岡県北九州市小倉北区生まれ行橋市在住。学生時代は外国語まっしぐらだったが、社会人になって日本語のすごさに目覚める。大手広告会社で営業経験後、フリーランスへ。関わる業界は不動産、食品、美容・健康など幅広い。